2019/02/08 15:38

なぜか、むかしから、2月の始まり、立春、旧正月、新月、のあたりが大好きです。


うちにこもる冬らしく、じぶんの中だけで、静かに新しいターンを迎える、という感じがします。

ことしの旧正月は、ありがたいことに、ハッピーニューイヤーイエーイ感のない、のほほんとしたメンバーで集まりまして、同じ時を各々楽しく過ごしたのですが、あらためて、わたしの楽しいは、無理せず、緊張せず、楽(ラク)の状態がベースなのだなあ、と思いました。

少し喋りすぎたので、少し反省したのですが、いまハマっている、『アンという名の少女』というドラマをみていたら、喋りすぎでいいか、と思いました。

わたしがこれまで生きていて一番夢中になった本は、中学生の時に読んだ『赤毛のアン』なのですが、この『アンという名の少女』は、新しいストーリーが付け加えられすぎて、決して『赤毛のアン』ではないのだけれど、もしカスバート家に詐欺師が下宿したら、、、アンは、マシューは、マリラは、こうするだろうなぁ、という、ドリフのコントの、もしも〇〇が〇〇だったら、をみているような面白みがあります。

そして、このドラマをみていたら、どうしてこんなにもみんながアンに魅了されるのか、分かったことがありました。

じぶんはどうしたいか、ということより、男社会と女社会、金持ちと貧乏、本音と建前、の縛りを優先する、バリッバリの二元性の時代背景の中で、アンだけは統合されユニティの生き方を実践しているキャラクターなんですね。

わたしはこれが好き、わたしはこうしたい、という魂の喜びに正直で、感情は溜めないで即発散。自然や動物に敬意を払い、すべての人に偏見を持たず、ありのままのアンがありのままの他人を受け入れる、、、目覚めた人だったのだなあ。

その当時は、風変り、で、何をしても目立ってしまうアンだったけれど、いまの時代だったら生きやすくって、もしかしたら物語になっていないかもしれない、、、ほんと、みんながじぶんの物語の主人公になる時代がきたんだなあ、と思いました。